本校が、この企画に踏み切ったのは、なにより、卒業生が持ち込んでくれた企画にこたえたいという動機でしたが、もちろん、この世界史的な出来事に対する、なにができるのかという気持ちの揺れが、前提でした。
卒業生から紹介があった、大学時代以来の恩師である渡辺先生との出会いなくしては、この企画はなかったと思います。あらためて、渡辺先生のプロフィールと寄稿していただいた文章を、紹介させていただきます。
この企画が、本校生徒のこれからの人生にとって、どのような意味をもつのか。もちろん、それは、ひとりひとりが感じることです。とともに、この企画の学外プロデューサーであった渡辺先生に、あらためて感謝します。
富士 晴英
「戦争の当事者となった芸術家の話」
戦争の当事者となった芸術家の話を、宝仙学園の若者たちに聞いてもらうということ
今回のアートエイド実行委員会のチャリティ展示と宝仙学園でのレクチャーは、私のニューヨーク大学大学院時代の後輩、ヴィクトリア・ソロチンスキーが、「ウクライナを支援してほしい」というメッセージと共に、ウクライナの限界集落を撮影した写真作品「Lands of No-Return(帰らざる国)」をFacebookに投稿しているのを見つけた所から始まりました。キュレーターの私は、このロシアのウクライナ侵攻が始まったタイミングで彼女の作品を日本に紹介し、平和を享受しているこの日本から戦禍に見舞われたウクライナを支援するチャリティ展示を行うことに意義を感じ、彼女にそう電話で提案したのでした。
電話口のヴィクトリアは、酷く疲弊していました。家族の安否が確認できず、眠れない日々を過ごしていると話してくれました。彼女の話をひとしきり聞いた後、今回のチャリティ展示の話を私がもちかけると、ヴィクトリアは、私はアーティストだから、自分の芸術作品を通じてウクライナを支援したい、と力強く語り始めました。こういったやり取りを繰り返す中で、私はヴィクトリアが少しずつ元気を取り戻しているのを目の当たりにし、芸術とは、生きる力の源泉に他ならないのだと確信しました。
しかし、そこからが大変でした。アートエイド実行委員会の立ち上げ、銀行口座、クラファンサイト、Webサイトの開設、ヴィクトリアの日本入国のためのビザの取得、国内での滞在制作先の確保、広報、ドイツと日本国内でのPCR検査の手配、写真作品とインスタレーション作品の制作準備、展示場所の確保と調整、関連したデザインの作成など、全てが手探りのまま、並行かつ急ピッチで準備が進んでいきました。
そんな中、日本滞在中日本の若者たちに向けて講演をしたいとヴィクトリアが希望していることをアートエイド実行委員会のメンバーに話すと、私が教鞭を取るテンプル大学ジャパンの生徒で、クラファンサイトの制作を担当してくれていた竹村瑠華さんが、大学の卒業報告をしに母校の宝仙学園に行く機会があるので、その際に学園にその話を持ちかけてみたい、と話してくれたのでした。
そこから先は、富士校長先生と竹村さんの先生だった齋藤先生を中心に準備が進んで行きました。準備の初期段階で、今回のレクチャーは政治を扱うのではなく、あくまで文化・芸術を通してウクライナを知ることに焦点を当てたい、という想いを先生方と共有することができました。その上で、富士校長先生、齋藤先生のお二人がとても丁寧にフォローアップしながら準備を進めて下さり、私は安心してレクチャー当日を迎えることができました。
またヴィクトリアには、ソビエト時代のウクライナの様子や、彼女のひいおばあさんが経験したスターリンの支配やレニングラード包囲戦といった高度に歴史的な文脈は、高校生や中学生にも分かるように、家系図や地図を入れるなど理解しやすくして欲しいと伝えました。
そして迎えたレクチャー当日。宝仙学園の生徒会メンバーから多くの素晴らしい質問が生まれました。特に人種差別に関する質問は、ユダヤ系の彼女にとって繊細な問題を孕んだものでしたが、ヴィクトリアは自分の体験を赤裸々に話してくれました。学生たちにとっても、優れた質疑応答の機会になったことでしょう。ヴィクトリアのレクチャー終了後、お昼ご飯を食べながら、多くの学生たちがヴィクトリア、私、そして卒業生の竹村瑠華さんに質問を投げかけてくれたのが、このイベントの成功を物語っているように感じました。
そして今回、何と言っても、竹村さんの通訳が素晴らしかったです。90分の通訳をこなすのは並大抵のことではありませんが、それを彼女は一人でやり切ったのです。彼女に英語で大学教育を施した教員として、これ以上名誉なことはありません。それはきっと宝仙学園の先生たちにとっても同じだろうと思います。
今回の戦争の当事者となってしまったウクライナ生まれのアーティストから直接話を聞くことは、これからを生きる宝仙学園の学生たちにとって特別な体験になったことでしょう。宝仙学園を5年前に卒業した竹村さんのように、この文化イベントが5年後10年後、宝仙学園を卒業して行く学生たちにどんな影響を及ぼして発芽して行くのか、今から楽しみです。
そして最後に、先日ドイツに帰国したヴィクトリアから、「日本が恋しい」とメッセージが届きました。きっと彼女にとっても今回の日本滞在、展示、さらに宝仙学園でのレクチャーは、特別に意義深いものになったことでしょう。
この機会をくださった宝仙学園の関係者の皆様に、心から感謝申し上げます。
アートエイド実行委員会代表 渡辺真也
渡辺さんのプロフィールはこちら↓
http://www.shinyawatanabe.net/biography