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卒業生インタビュー第2回 米谷先生

2024/4/6

 

同窓会の活動の一環として、理数インターの卒業生の皆さんが卒業後どういったことを行っているのか記事として随時投稿していくこの企画、第2回は理数インターの先生でもあり卒業生でもある、米谷先生にインタビューを行いました。少しでも皆さまが繋がる場になれればと思っておりますので、気軽に読んで頂けると幸いです!

吹奏楽部の指揮をする米谷先生

―こんにちは。本日はよろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。

 

ーはじめに、現在されているお仕事について教えてください。

母校である理数インターで英語の教員として働いており、現在は中学3年生の副担任をしています。母校で働けるとは夢にも思いませんでした。

 

色々な偶然と出会いによって見つけた自分の道

ーなぜ教員になろうと思ったのですか?

正直にお答えすると、大学が大好きだったため4年で卒業したくないと思い、教員免許を取り始めた、というのが大きな理由です。私が4年生の時にちょうど新型コロナウイルスが流行して、キャンパスで授業が受けられず、留学にも行けなくなってしまいました。そんな中何ができるか考えたときに、教員免許という目に見える証を在学中に残し、あわよくばもう1年に大学に通って、5年で卒業しようという考えに至りました。

教員免許を取るにあたり教員という仕事について考えてみると、中高時代の6年間は生徒のその後の人生に大きな影響のある大切な6年間で、そんな1人1人にとって非常に大切な時期を一緒に過ごせるというのは、本当にやりがいのある仕事なんじゃないかと感じました。

また、私が中高生の頃の学校の様子を思い返すと、進路指導や教科指導、なんにでも熱血でありつつ気ままに楽しそうに仕事をしていた学年団の先生や、いつもにぎやかだった同級生のことがありありと思い出せました。私も教員として働いたら、そんな熱気溢れる教員や生徒の近くでいい刺激を受けながら、充実した日々を過ごせるのではないかと思い、本格的に教員を志すようになりました。

 

ーとても素敵なお話ですね。ちなみに、大学では何を学ばれていたのですか?

東京外国語大学で、インドの公用語であるヒンディー語を学んでいました。高校生の頃初めてオープンキャンパスに行ったときに、絶対この大学に入りたい!と強く思いました。何語を専攻しようか迷ったのですが、私の”梵”という名前が、インド仏教やインドの創造神ブラフマーなどに関わりのある名前のため、インドにとても縁を感じていました。また、ヒンディー語は東京では外大でしか学べない言語であるし、インドは人口も増えていて経済も伸びている上向きな国でもあるので、ヒンディー語専攻に決めました。

 

ー米谷先生は、教員免許を英語と世界史の2つ持っていらっしゃるとお聞きしました。2つとるのは非常に大変だと思いますが、なぜ2つも取ろうと思ったのでしょうか。

高校生のころから世界史が好きだったので、最初は世界史の教員免許だけを取るつもりでした。中高時代お世話になった先生に教員免許について相談してみたところ、「外大生なら英語だろう」「もし教員になった場合も英語科のほうが就職は有利だ」とアドバイスを受けました。それでも世界史の教員免許を取りたいという気持ちが強く、コロナ禍で時間もたっぷりあるため、2つ取っちゃおう!ということで2つ取りました。もし、コロナ禍が訪れず教員免許を取っていなかったら、まったく違う職業についていたと思います。

 

ー理数インターで働くことになった経緯を教えてください。

私は大学を卒業して、一度別の学校に就職しました。世界史の教員として採用していただき、授業をするのは本当に楽しかったのですが、少し校風が合わないと感じていました。そんなときに、先ほどのお世話になった先生に相談したところ、富士校長とお話しする機会をいただき、「英語科だったら是非採用したい」と嬉しい言葉をいただきました富士校長からお話をいただいた後、大好きな世界史を教えていられる環境を取るべきか、英語を教えることになるが母校という居心地の良い環境を取るべきかでとても悩みました。色々と考えていく中で、富士校長のお話を断ればきっと後悔するだろうと思い、英語科の採用試験を受け、ありがたいことに採用していただき今に至ります。

いつか母校に戻ってみたいという気持ちはありましたが、まさかこんなに早く戻ることになるとは思わなかったです!

 

心の距離は、近いまま

―生徒として見た理数インターと、教員として見た理数インターの違いはありますか?

一番感じているのは、大きくなった、ということです。私が生徒だったころは1学年に生徒が100人ほどしかいなかったのですが、今の理数インターには、1学年に200~250人ほどの生徒がいます。校舎に生徒がたくさんいて、物理的に賑わっている!というのは、やはり昔と大きく違うところだと思います。

また、私が生徒として理数インターにいたころは、アットホームで生徒と先生の距離がとても近い環境でした。教員として働いてみて、今も昔も生徒と先生との心の距離が近いというところは変わらないなという印象がありますが、1人1人にじっくりと時間をかけて密接に関わる、というのはなかなか難しくなってしまっているなという印象もあります。

 

先ほど、教員を目指した理由の一つに「生徒の将来を決める大切な6年間に携わることはとてもやりがいのある仕事」と言われておりました。実際に教員として働いてみて、やりがいは実感できておりますでしょうか。

はい、確かに感じています。学校現場で起こる日々の出来事は一つ一つは小さなことでも生徒一人一人にとっては重要な意味を持つ場合がたくさんあります。

例えば、教員が何気なく発した「〇〇さんはこういうところがあって、私はそんなところがとても素敵だと思うよ」という言葉が、その生徒の中で残り続け、結果的にその言葉が進路など人生における選択に生きる可能性もあります。理数インターでの毎日は、そんな「小さいけれども大きな意味をもつ出来事」に溢れていて、それが幸せです。

来年以降担任などを任せてもらえるようになると、このような機会はさらに増えるのではないかと思うので、今から非常に楽しみです。

 

今の自分、これからの自分

―教員という職業についてみて、大変なことはありますか?

学校現場では、毎年クラス替えでメンバーが変わってしまうのはもちろん、日々不測の事態がたくさん起こるため、常に臨機応変な対応を求められるという大変さはあります。しかし、その大変さも含めてとても充実していて楽しいです。最近は、失敗したかもとくよくよ気にし過ぎていたら体も気も持たないと気付いたため、できることを着実に、次を意識して行動するようにしています。

 

―理想の教師像はありますか?

同じ英語科で同じ学年団の有山先生と、同じ吹奏楽部顧問の高橋先生のお二人が理想です。

有山先生は、私とそこまで年は違わないのですが、中学英語科をまとめられていて、教務の副主任に就いていて、担任もしていて、ダンス部の顧問もして、いつも忙しそうなのにアップアップな感じを一切出さず誰に対しても笑顔で優しく接しています。一方、生徒に対して指導すべきところはきちんと行っていて、まさに私が理想とする教師像です。

高橋くるみ先生は音楽科の先生で、いるだけで周りの人みんなを元気にさせるような明るさを持っていて、1度会うだけでも1ヵ月分ぐらいの笑いをくれます(笑) 吹奏楽部は練習も多く大変なのですが、広報部で広報活動にも携わり、入試のチーフをしていたりと、有山先生同様、宝仙の主力となっています。

お二人には見習うべきところがたくさんありますし、悩みや言いづらいことも言えるので、私にとって、とても大きな存在です。

憧れの先生や信頼できる先生が周りにいるのは、本当に恵まれた環境だと思います。

 

―では最後に、将来の目標を教えてください。

今後は、宝仙学園で自分のスキルを生かしていきたいと考えています。目標はいくつかあるのですが、1つは「英語を使って世界史を教えること」です。

11月の中3アジア研修にあたって、シンガポールの歴史に関するワークシートを作成する機会をいただいたのですが、自分の歴史と英語の知識・ノウハウを生かせる充実した実践になりました。また、冬期講習では英語科の泉川先生と、フランクルの『夜と霧』を英語原文で読解・考察し、自分の解釈や意見を他生徒に伝えるという実践を行いましたが、それも非常にやりがいの大きな実践でした。

大学ではインドの歴史や文化を学んでいたので、インドの文化を学べる体験型の授業や、インド史のおまけ的な立ち位置で簡単なヒンディー語講座などもできたら面白いな、と考えています。

そのような、自分にしかできない実践を今後さらに積み重ねていき、唯一無二の英語・歴史教員になれたらいいなと思っています!

 

 

卒業生インタビュー第1回はこちら

目指せドクターヘリ!理数インター1期生 相澤 陽太さん

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