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第14回 理数インターのグローバル 「旅かへり」の迎え方

2017/1/25

前回はニュージーランドへの一年留学から帰国した生徒たちの報告をご紹介しました。一様に両親への感謝の言葉を語っていたのが印象的でした。

 先日、国語科の先生から2013年の京都大学の入試問題に使われた幸田文の『旅がへり』という文章を紹介されました。箱根・熱海への旅から帰ってきた幸田文が、帰宅後に自宅で感じた「違和感」を次のように表現しています。

 「(前略)住みなれたわが家にわが座蒲団は敷いてあつても、上機嫌にどさつと膝をつく気には遠い座蒲団だつた。しかもそれは行くまへまでは親しいすわり場処であり、帰つたいまも行くまへと寸分ちがはぬ部屋のなか、ものの位置なのに! 旅がへりのもののははじかれてゐるやうな気がさせらたのだつた。」

 わずか数日の旅から帰っただけであっても、それが非日常である以上、住み慣れた我が家という日常の塊に身を投じたときの違和感はあるものです。旅という経験を経て精神的に変化した者の目に映る日常の景色は、出発前のそれとは異なって映るからに他なりません。そして家に残った家族こそが、実は日常の景色そのものなのです。

 ですから、旅から帰ってきた家族を家の者はどのように迎えるべきであるか、筆者の父(幸田露伴)はつねづね「旅かへりをよく迎えてもらいたい」と娘の文にこぼしていたようです。そして、よく迎えるとは「宿の上を行くもてなし」をすることではなく、使い慣れた座蒲団と丁寧に焙じた番茶で迎えることなのだ、と父との体験を通して語ります。

 一年間の留学を終えた4人の前に広がる景色は出発前と同じだとしても、一人一人の目には違って映ったはずです。留学を終えて帰国した生徒の多くが感じる「逆カルチャーショック」もそんな違和感に起因します。ときに目に映る慣れ親しんだ日常の景色や物事のすべてが古臭く、平凡に思え、「だから日本はダメなんだ」と短絡的に結論付け、それを日常そのものを体現する「家族」にぶつけるのです。(何を隠そう30年前に留学から戻ってきたときの私自身がそうでした)

 今回帰国した4人は異口同音に家族への感謝を語ってくれました。どうやら「旅かへりをよく迎えてもらった」ようです。つまり、それぞれのご家族が4人を使い慣れた座蒲団と心のこもった番茶で迎えられたということです。

 この「旅かへり」のホスピタリティは、外国からの遠来の客を迎えるときの「おもてなし」の精神にも通ずるのではないか、とも思うのです。

 (共学部高等部 教頭 右田邦雄)

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