中学2年生の長崎研修旅行が終わり早2週間。
生徒が旅行を振り返り作文を書いたそうです。
その作文が学年通信となって私たちのもとに届きました。
生徒のリアルな感情、学びをぜひご覧ください。
◆今日はたくさんの「はじめて」が詰まった一日だった。まず、飛行機に乗ることが「はじめて」だった。飛行機が離陸するとき、初めて空を飛んだ興奮から思わず声が洩れた。周りからも歓声や拍手が聞こえてきて、一層気分が盛り上がった。しかし、後で振り返ってみると、一般の方には迷惑になる行動であったのかと気づき、反省している。次に、長崎に来たこと、いやそもそも西日本へ旅行すること自体が「はじめて」だった。火山学習では火山や自然そのものの荒々しさや、その反面人間にもたらされるたくさんの恵み、そこから生まれる人間と火山の共生について学んだ。最後に窓の外の美しい夜景を見ながら、この素晴らしい一日を終える。明日も楽しい一日になるように頑張りたい。
◇長崎に着いて、外の山々を見て急に涙が出た。東京には高尾山などがあるが、久しぶりに大きな山がいくつも連なっているのを見た。広い自然を見ると、おおらかな気持ちになってきて、緊張がほどけてきた。こんなに遠くまで自然が広がっている場所があったのか、私はとても感動した。
◆雲仙に着いて、3分割ローテーションのときでは、ガイドのあばあちゃんとあまりにも意気投合したので、そのおばあちゃんのことを「ばあば」と呼ばせてもらいました。その前にみんなで食べたチャンポンはものすごく美味しかったです。一人でも多くの人と囲んで食べるご飯はこんなにも暖かく、美味しいものなんですね。
◇バスで普賢岳火山学習プログラムの3カ所を回りました。最初に行った噴火現場では災害が起きたという実感は湧きませんでした。しかし、焼け残った小学校や噴火再現映像を見て圧倒されました。約30年前、噴火によって43名の方が亡くなってしまったんだなと、崩壊して埋まった家や、落ちて残った溶岩を見てすごく実感しました。
◆二日目は、待ちに待った自主研修です。自分たちの班は、男女とても仲良く行動できました。時間も余裕を持って行動できました。特に南山手のプリンはとてもおいしかったです。また食べたいです。お昼は新地中華街へ行きました。中華街のショウロンポウは、人生の中で1位か2位に入るくらい絶品でした。
◇班の人たちは、あまり話したことがなくて不安でしたが、みんな楽しんでいて協力もしてくれて良い人たちでした。街の人たちは気さくに話しかけてくれたり、写真を撮ったら感謝してもらえたりして、長崎の人たちは本当に良い人たちでした。
◆グラバー園では、日本にいるのに外国のような可愛い建物がたくさん見られた。また、ロープウェイでは、自然と可愛い建物が隣り合っている景色がとてもきれいだった。東京では味わえない自然がとても気持ちよかった。また、ロープウェイの方向を教えてくれた人もいて、長崎県の優しい人と触れあえて嬉しかった。
◇楽しかった!チンチン電車で靴ひもがほどけているのを教えてくれた優しいおばあちゃんがいた。中華街では写真も撮れたし、ごま団子とか、角煮まんとか食べた。角煮まんがすごく柔らかくておいしかった。出島はたくさんのところに回れた。たくさん展示があって、貿易の話とか昔のものとか色々見られた。眼鏡橋にも行った。眼鏡橋でたくさん写真撮れた。眼鏡みたいだった。反射していて。眼鏡橋でチリンチリンアイスがあった。シャリシャリしていて、ちょっとシャーベットみたいだった。チリンチリンアイスは、バラの形でアイスでバニラの花びらを作っていてきれいだった。おいしかった。
◆今日の自主研修は、ひと言でまとめると、大変だったけど「楽しいが勝った」でした。ルートを決めるとき、班長がしばらく休んでいて、直前まで決まらず、私が勝手に決めてしまうことが多くなってしまいました。私は、みんながルートに不満を持っていたらどうしよう、申し訳ない、という不安な気持ちがあり、前日は泣きそうなくらい怖かったです。しかし、班のみんなに助けられ、予定通りとはいかなかったですが、とても楽しく仲も深まったような気がして、嬉しかったです。
◇池田道明さんもガイドさんも口を揃えて言っていたこと。「今聞いたことを後世に語り継いでいってほしい。あと10年、20年もすれば被爆者はこの世からいなくなってしまう。この原爆の恐ろしさを語り継いでいくことをおろそかにすると大変なことになる。次はあなたたちの番だからよろしく頼みます」本当に自分たちの番がやって来たら、役割を全うしたいと思った。
◆ガイドさんの言葉。「原爆のことについて忘れられてしまうのがとても怖いし、悲しい。今も普通にある争いや戦争がないのは日本だけで、それを普通だと思っているせいで、忘れてしまうのではないか。被爆者が高齢化しており、どんどん亡くなってしまって、これからの世代にこの恐ろしさを伝えることができなくなってしまうのではないか」。とても印象に残りました。
◇浦上天主堂の中は静かだが、ステンドガラスがきれいでずっと居たいと思った。原爆中心地のモニュメントはすごい意味がたくさんあった。案内してくれたガイドさんは早歩き(僕にはちょうどよかったけど)で、たくさん話してくれてよかった。この研修旅行では、たくさんの人(旅行会社の人、ホテルの人、バスの運転手、ガイドさん、原爆のことを話してくれた人、詳しく案内してくれた人、お昼ご飯を作ってくれたお店の人)に支えられて実現できた旅行だと思いました。昔、恐ろしい兵器が使われた長崎に、今このタイミングで行けて良かったです。
◆平和公園では平和祈念像が想像より大きく、とても迫力があって驚きました。次に行った如己堂がとても小さな家で台所もないことに驚きましたが、永井先生が行ったことで多くの人々が救われたことに感動しました。最後に訪れた浦上天主堂は、大浦天主堂とはまた違う美しさがあり、たくさん写真を撮りました。ステンドグラスもイエス・キリストの一生がかかれていてとてもきれいでした。
◇永井博士記念館で見た、永井さんが言った多くの言葉がどれも良い言葉でした。特に、「如己愛人」という言葉です。この言葉は、己の如く人を愛せよという意味で、如己堂の由来にもなっている言葉です。その如己堂が思っていたよりも小さくてびっくりしました。
◆平和祈念像が目をつぶっているのは冥福を祈っているから。被爆した永井隆博士は、浦上聖書を書き如己堂に住んでいた。如己堂の由来は「己の如く人を愛せ」。こういうたくさんの言葉や文章、写真を見ると「被爆者」でまとめてはいけない気がしてきた。人それぞれたくさんの苦しみにもがきながら生きているのだと学んだ。皿うどんもおいしかった。
◇原爆が落ちても、その時その時は自分が生きるので精一杯であったとしても、振り返ってみると、お互いに支え合ったからこそ復旧が進んでいる。教訓を語る人がいるからこそ、道を踏み外す人が少なくなる。長崎には原爆というつらい過去があり、雲仙の噴火があり、それでも一つ一つ克服し、自然を家族のように親しみ、周りに思いやりを持って接する。そして、この美しい夜景を持つ長崎の「いま」がある。それがなんだかとても素敵なことに思えた。
◆ここに来るまでは、長崎の面白さ、見どころなど全く分かりませんでしたが、普段の生活を忘れて新しい景色にふれられるところ、時間がとてもゆっくりに感じ、街もおだやかで癒やされるところ、街や夜景がきれいなところ、原爆の恐ろしさを後世に伝え平和を願っており、とても勉強になり心に残るところなど、たくさんの魅力があることに気づきました。
◇戦争について考えてみて、自分がどんなに恵まれているかを改めて実感した。何もしていないのに攻撃され、理不尽に思っても誰も聞いてくれない。苦しいと助けを求めても誰も手を差し伸べてくれない。今日私が体調を崩したとき、たくさんの人が大丈夫?と声をかけてくれたり、気遣ってくれたりした。助けを求めなくても自分から助けてくれようとする友だちがたくさんいた。同じ地球に生まれてきて、境遇の違いに、どうしたらみんな平等な幸せが与えられるのだろうかと思った。この三日間長崎で平和について学び、毎日幸せに生きていられるのは当たり前のことではないのだと知った。毎日笑顔で過ごせることに感謝しながら過ごしていきたいと思う。
◆戦争はもうウンザリだと思った。世界が平和になることを願う。この三日間とても楽しかった。遊べたし、勉強もして、有意義だった。楽しかった。みんなが平和で暮らせるといいな。
◆最後のバスなのに爆睡してしまった。少し後悔した。でもバスガイドさんの最後の言葉を聞けて良かった。飛行機は窓側だった。すっごく景色がきれいでいっぱい写真を撮ってしまった。友だちと話していたらあっという間に東京に着いた。今までで一番楽しかった研修旅行だった。家族にたくさんお土産話をしました。とっても疲れた~。
◇やっぱり帰りの飛行機もとても楽しかったです。行きは朝で、帰りは夜(夕方)だったので窓から見える景色がまた違って正直眠かったのですが、眠れませんでした笑。この三日間本当にいろんなことがあったんですが、たくさんの思い出ができて、来年沖縄かシンガポールかどこかに行くのが楽しみになりました!!
◆三日間を通してすごく楽しかった、思い出に残ったなと振り返ってみて思います。コロナが流行して、二年間修学旅行がつぶれたので、無事に行けて嬉しかったし、最高の思い出となりました。直前でコロナ関連で行けなくなってしまった人がいたのは、すごく悲しかったです。来年は全員で行きたいなと思いました。
長崎の風景が思い浮かぶ、心温まる学年通信でした。
入試広報部