Let the sleeping dog lie.
これは「寝ている犬をそのままにしておく」から転じ、「触らぬ神に祟りなし」という意味の英文です。つまり、「事を荒立てるな」ということですが、荒立てるのが私の授業です。
高1のクラス編成は、大半を占める中学校からの内部進学生と高校から入る生徒の混合クラスです。
さらに英語の授業では、習熟度クラスのため、さらに4クラスの生徒から成り立っています。
全員が知り合いと呼ぶには、まだ時間のかかる人間関係なのが現状です。
縁あって、2学期より高1の英語の授業を担当することになりました。
が、緊急宣言下であったため、オンラインでの船出でした。
10月に入り、初めての私の対面授業のセリフが以下です。
「今週末には、皆さんには授業でプレゼンをしてもらいます。」
本校は、英語学習において、先取学習はしておりませんが、深堀りは中学よりしています。学習内容によっては、内部進学生は、同じ内容を聞くことになります。この現象を逆手に取り、人間関係の構築も含め、少人数のグループに別れ、内進生が高入生に教え、学んだことを高入生が、別の内進生グループにプレゼンする形式を取り入れています(今回のテーマは、冒頭の英文にある使役動詞です)。
人に何かを教えるには、自分の理解が前提となります。
教えを乞うには、何がわからないのかを明らかにする必要があります。
私は、教室内でその手伝いをするだけです。
「そういうことか~!」
「それってどういうこと!?」
「なるほど」
「わからない、もう一度教えて」
耳を澄ますと聞こえる私の好きな言葉たち。
自分なりの理解を披露する者。
納得いくまで問い続ける者。
ビジュアルエイドを作り、披露する者。
グループの枠を取り払い、いつの間にか新しいグループもできています。
クラスには、人数分だけの話し上手、聞き上手、教え上手がいます。
私のことを忘れています。それでいいのです。
それが普通です。
授業の目的って何なのでしょうか。
授業で何を授けるのでしょうか。
業(ごう)とは、簡単にいうと人間が行う「行為」のことを指し、何かに作用を及ぼすということです。
子どもたちが顔を付き合わせる意義を見出すことが対面授業には必要です。
人のために何かできることがあるかを考えよう、が私の授業の根底にはあります。
studyは過程、learnは結果です。
I studied but I didn’t learn anything.
これでは、意味がないのです。
その科目を学ぶ楽しさに加え、その科目を通じ、社会で必要な力を今から身につけることが大切なのです。
彼らの業を信じること、眠っている能力を起こすのが、私たち教員の仕事です。
Don’t let the sleeping dogs lie. といった感じでしょうか。
総務部長 對馬 洋介