高校2年生の4月の最初の英語の授業で話した言葉です。
そもそも授業とは、教員が必ずしなければならないのでしょうか。
社会に出れば、答えのある問いに答えることはほぼなくなり、自分で考えることだらけです。
そのことを教え、その手段を他者と共に考える機会を学校が与えることは、彼らを社会に送りだす私たちの責務だと私は思います。
よって、まずは「授業は教員がするもの」という生徒が持つ固定観念を彼らの前で壊し、次に授業のデザインそのものを授業の主体者である生徒に委ねることにしています。
彼らのデザインは、ディベート「アンパンマンは正義か」と「洋楽から学ぶ英語」でした。私は、彼らの求めに応じ、裏方として協力します。
学校の行事(例えば、文化祭)は、まさにこれと同じ構造でしょう。
色々な意見をまとめて、合意形成することを学び、その実行する過程を学ぶ装置。
それを体感できるから、生徒たちは学校行事が好きなのでしょう。
どの学校も授業が大切と言います。
ならば、授業でも同じことをすれば良いのです。
授業そのものを行事と捉えれば良いのです。
生徒は、選択できれば、考えるようになります。
生徒は、悩めば、友人や大人に相談するようになります。
生徒は、遂行責任、「最後までやり遂げる」ことを学ぶようになります(大人は、結果責任をとれば良いのです)。
ご存知かも知れませんが、本校ホームページの理数インターの英語は「3つのC」と記載してあります。
Challenging
Critical
Creative の3つです。
今学期前半のテーマは、上記に4つ目のC「協働 = Collaboration 」を加えました。
集団だからこそ身に着けることができる「知の相互作用」や自分のために他人の力を借りる「したたかな力」や他者との「折り合いをつける力」等の養成です。
コロナ禍のオンライン授業では味わえないクラスメイトがいることの利点を活かした授業がしたいという彼らの要望の一つでもありました。
もちろん失敗しても良いのです。
どのような学び方に効果があるのか?
生徒自身が考えるようにし、足りないものを自覚し、次に繋げば、良いのです。
ところで、焚火がよく燃え続けるには、燃料(薪)、空気(酸素)、温度が必要ですが、前提としてきっかけとなるライターやマッチが要ります。そのときに出る熱(燃焼熱というそうです)が周囲の燃料の温度を上げ、連鎖反応を起こし、さらに燃え続けるのだそうです。
今学期後半のテーマは、「世界とつながる」です(毎週、海外のゲストスピーカーを招きます)。
これも彼らの希望の一つです。
今期の連鎖反応も楽しみにしたいと思います。
「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明する。すぐれた教師は自らやってみせる。そして、偉大な教師は生徒の心に火をつける。」アメリカの哲学者
ウィリアム・アーサー・ワード
大切にしている言葉です。
総務部長 對馬 洋介