先週の25~26日、東大入試が行われた。水曜日の夕刻、受験を終えたばかりのS君がその足で、問題冊子を手に本郷から駆けつけてくれた。2日目の最後の英語の問題は未だネットにもアップされていなかった。早速開いたのは、もちろん英作文のページだ。東大の英語の英作文問題は毎年これぞ東大のメッセージという出題がされ、注目をあつめる。さて、今年の問題は?
「私たちは言葉を操っているのか。それとも、言葉に操られているのか。あなたの意見を60~80語の英語で述べよ。」
思わずS君の顔を覗き込んだ。「スゴイなぁ。」
「言葉を操っているのか」はたまた「言葉に操られているのか」。このお題に対する自分の考えを数分のうちにまとめ、それを英語で表現するのだ。日本語でだって難しい。
言霊ではないが、「絶対合格するんだ」とことばに出すことで潜在意識が顕在化され、意識改革に貢献することがある。そんなことを思い浮かべ、私は後者を選んだが、S君は前者で書いたという。
こういうテーマに瞬時に反応できる高校生って、どんな毎日を送っているんだろう。昼休みに友だちとお弁当を食べながら、「我々は言葉を操っているのか、はたまた…」なんて会話をしているわけじゃない。だとすれば、どこかでそういう問題意識を持つきっかけがなければいけないはずだ。日々の授業で、オトナとの会話で、そして読書を通して。いや、友だち同士でもいい。「結局、自分たちはスマホを操っているのか、それとも操られているのか」、これだって同じだ。普段からそんな問題意識を持っているかい?そんなメッセージを受け取った気がした出題だった。 (高等部教頭・右田邦雄)