三日にわたって行われた長崎研修旅行。
長崎の文化を見て聞いてやってみて、とても実りのあるひとときになりました。
東京にはないような路面電車や歴史のある建造物。
どれも触れたことがないものばかりで、映るものすべてが新鮮でした。その中でも特に印象に残ったのが、三日目の平和学習の時間に見た、生々しく目も向けられないほどの惨劇が写った写真でした。
被爆時刻を刻んだまま止まった時計、赤く土にまみれて荒んだ瓦、皮膚が焼け爛れてしまった被爆者の姿、朽ちた屍。
想像していたものよりずっとひどくて、怖さよりも虚しさが体に重くのしかかりました。
そして実際に原爆の被害にあわれた方にその時の様子を話していただきました。
投下された衝撃で眼球が飛び出す、熱さで顔が溶けて誰が誰だがわからなくなるほどの損傷をする。
聞けば聞くほど恐怖を感じました。しかしそれは類似体験までもいかないもので、頭のどこかで今を見ている自分がいました。
否定したい史実を突き付けられたようで本当に起こったことだと思いたくなかったのです。
私はこの体験談をきき、写真を見てやっぱり戦争や争いは何も生まないんだなと思いました。
日本政府が「原爆投下」まで戦争を引っ張ってしまったことにも責任があると思うし、アメリカが原爆を落としたのにも責任があると思いました。
平和学習で学んだこと。それは過去のことを「良い」「悪い」という天秤で測るのではなく、どちらの意見も聞き入れてあげることのできる思いやりの大切さです。
一度起こってしまったことはもうどうにもならない。だけど過去の過ちから、二度と起こさないようにはできる。他者の意見を聞き入れ、尊重する。
きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、とても大切なことであり、戦争・原爆をなくす手立てだと私は思いました。
被爆者の体験談を聞ける、最後の世代として、真剣に原爆について考えさせられた研修旅行になりました。
中学2年 K.S