最新情報

中国人高校生の訪問記

2019/9/13

 先日、本校で恒例の中国人高校生交流会が開かれました。これは中国で行われる「日本語作文コンクール」で表彰された高校生14名が日本を親善訪問し、高校を訪問したり、東日本大震災の被災地を訪れ、日中交流を図るというプログラムの一環で、本校は毎年そのホスト校の一つとなっています。
 今年は学校訪問に先立ち、本校の生徒30名ほどと9/7~8の週末、富士山麓でともにキャンプをして過ごすという企画も行いました。

 その後、9/10の午後には本校を訪れ、授業見学や部活動体験をし、本校生との交流会が開かれました。その様子は生徒ブログに譲るとして、昨年度同様なプログラムに参加した、吉林省出身のある中国人高校生の訪問記が送られてきましたのでご紹介したいと思います。
 ご一読いただけば、その日本語レベルの高さに舌を巻くと同時に、このような若者同士の交流がどれほど両国の未来を明るくしてくれるか、ご理解いただけると思います。長くなりますが、生徒の書いたものをそのまま掲載します。


 僕は時々思う、「人生は人と人とが出合い、また慌ただしく別れることを繰り返す。それは無駄な社交的行為なのか、それとも中には縁という形のないものが人々を結びつけたのか。今回の訪問をきっかけに、その答えを得たように感じる。

 あの日は快晴で、ワックスを塗ったような青空に一片の雲もなく、さわやかな気分をもたらしてくれた。電車を何回か乗り換えてから5分ほど徒歩で、辿り着いたのは目的地の宝仙学園。正門の前には在校生の皆が一列に並び、熱意を込めて挨拶をしてくれた。その前に教頭先生が立ち、「ようこそ宝仙学園へ。どうぞ中へ入りましょう。」と微笑みながら僕たちを案内してくださった。それは活気あふれる明るい学園だった。先生によると、ここは勉強だけに集中することなく、生徒一人ひとりの個性を培うことに取り組んでいる学園である。「そんなアニメに出そうな学校なんて実際にあるのかな」と僕は疑問を抱えながら学校を見学した。

 僕たちがまず訪ねたのは中学生の特別な授業だった。それはみんなでパソコンと小道具を使い、簡単なプログラミングをする授業で、僕をとても驚かせた。プログラミングは大学で設置する授業だと思っていたからだ。しかし、確かにそこには身長が僕の腰辺りまでしかない中学生が30人くらい、グループに分かれて基本的なプログラミングをしていたのだ。こんな光景を僕は中国で見たことがない。まだまだ幼さが残る中学生だが、そこに難なく座って高校生にとっても難しそうなプログラミングをしていることに、僕は目を丸くした。「これはこういう原理でこうなるんだよ」と言われ、僕は「すごいね」としか言えなかった。

 驚きはこれだけにとどまらず、次に僕が訪ねたのは高校三年生の国語の授業だった。一見何も違和感がなかったが、みんなの手元にあるプリントに目を向けると、なんとそこには中国の古代詩が載っていた。隣に座っている明るそうな男子生徒が、「ねえねえ、これどういう意味?」と僕に質問したので、僕は自信満々に読んでみた。しかし本当に恥ずかしいことだが、僕は一文字もわからなかった。「やっぱりすごいな」と思い、この学校への興味がさらに湧いてきた。

 そして剣道、弓道、体育の授業などの体験を楽しんだ後、最後に僕たちは生徒会のみんなと歓談した。日中両国のお菓子を食べながら、お互いの学校生活や経験、習慣など、情報交換を深めた。文化と文化のぶつかり合う中で、日中交流を深められ、非常に有意義な時間を過ごせたように感じた。しかし時間はいつもあっという間に流れるもので、気が付くと、もうみんなと手を振ってお別れをしたいた。もう彼らと会うことはないかもしれない。顔も思い出せなくなるかもしれない。しかし彼らと出会ったことで間違いなく僕の中の「日本」が更新され、「文化」の見方が刷新されたのだ。

 年齢や学年が同じでも、文化の違いによって大きな溝が生まれる。人間と同じように文化にも「完璧」はない。しかし、互いに優れた点と不足な点を共に理解し、受け入れることが大事なのではないかと思う。
 僕は宝仙学園を見学することで、いろんなことを理解したものの、疑問の答えはまだ不完全だと思った。それをよそに、次のスケジュールに入った。

<中略。訪日団はその後、岩手県陸前高田市を訪れ、震災を体験した人たちと交流した。>

 人は災難にあって初めて生活のすばらしさを感じ取る。それは陸前高田市の生徒の顔を見ればわかる。その中にはきっと親を失った人も、兄弟を失った人もいるはずだ。しかしこの人たちは人生に失望したのか。人生は残酷だと認めていたのか。いや、違う。彼らは失ったことの悲しさを乗り越えて、人生を幸せにする方法を学んだ。今回の交流活動のおかげで、僕は彼らから一つの生き方を学んだ。どんな困難にあっても、僕自身がいつも前向きでいるべきだと。

 この2つの場所の見学を経て、僕の疑問は解けた。僕が日本の生徒と交流したことで、自分の答えを得た。一生の中で短い付き合いで無意味で去っていく出会いが多いが、中には人生に対する見方を変える出会いもある。僕は今回の活動で、日本文化への理解と生き方を深めた。これからもいろんな短い出会いがあり、たくさんのことを学び取り、視野を広げ、もっと成熟した人になる。人はこのような出会いがあるからこそ、人生は豊富なものになれると思う。


(共学部高等部教頭・右田邦雄)

Return to Top ▲Return to Top ▲