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#44 『今年の思い出』

2018/12/26

 今年の夏、校長先生とスリランカを訪れる機会がありました。

 スリランカ、といってもあまり日本には馴染みがない国のように思われるかもしれません。せいぜい紅茶とカレーが美味しい国、といったイメージでしょうか。実はとても親日的な国である、ということが行ってみるとよくわかりました。

 そんなスリランカですから、首都はどこ?と聞かれても、よほど地理に詳しくなければご存じないかもしれません。なかには大都市の「コロンボ」とお答えになる方もいらっしゃるかもしれません。

 スリランカの首都は、「スリジャヤワルダナプラコッテ」といいます。クイズ番組で出題されそうな、とても覚えられない名前ですね。実はこの名前は、ある有名なスリランカの偉人と関係があるのです。その人の名はジャヤワルダナ。スリランカ第2代大統領です。

 話は第二次大戦直後に戻ります。サンフランシスコで開かれた講和会議で戦後処理について話し合われていた時です。米ソをはじめとする大国が日本分割統治案を検討する中で、アジアの小国セイロン(現スリランカ)のJ.R.ジャヤワルダナ蔵相(当時)は、並み居る列強国を相手に次のように演説をし、日本の主権回復を訴えたのです。

「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。

 人は憎しみによっては憎しみを越えられない。

 怨みをすててこそ恩む、これは永遠の真理である。

(Hatred ceases not by hatred but by love.)」

 これはブッダのことばですが、ジャヤワルダナ氏は数百年もの間、アジア諸国を共通の文化と伝統で結び付けてきたものは仏教であると説き、この言葉を引用しながら「もう一度日本人にチャンスを与えることをアジアの諸国民は切望する」、と主張したのです。(このときの草稿はコロンボにある「ジャヤワルダナ記念館」で見ることができます)米有力誌はジャヤワルダナ氏を「最も有能なアジアの代弁者」と絶賛したほどです。

 ジャヤワルダナ氏はその後、大統領職に就きながらも親日家として精力的に日本との架け橋となりました。90歳で他界した時には、遺志に基づき、角膜が提供されました。片眼はスリランカ人に、もう片眼は日本人に提供されたそうです。

 日本が戦後、最初に国交を結んだ国がスリランカ(セイロン)であったことも含め、日本とスリランカの深い絆と、その陰で尽力された恩人ジャヤワルダナ氏の功績を知る機会を得ました。現在の首都の名前は、氏へのスリランカ国民の深い敬意が込められているように思います。

スリ=聖なる

ジャヤワルダナ=勝利をもたらす

プラ=町

コッテ=もともとの町の名前

 

 恥ずかしながら私自身、ジャヤワルダナ氏の名前を今回の訪問前に聞いたことがありませんでした。それだけにぜひ、本校の生徒諸君にはあまり馴染みのないスリランカという小さな国の話ではありますが、この名前を知っておいて欲しいと実感した次第です。

(共学部高等部教頭 右田邦雄)

 

(コロンボのジャヤワルダナ記念館にて。館長さんと一緒に。)

 

 

 

 

 

 

 

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