人は満員電車は一向に慣れません。これは当然。なぜならば、見ず知らずの人とは一定の距離をとりたい人間のナワバリ意識の現れだからである。
アメリカの文化人類学者エドワード・ホールは、著書『かくれた次元(The Hidden Dimension 1966)みすず書房』の中で人間の社会的・個人的空間とその知覚、さまざまな民族・文化における空間観念の相違について「プロクセミクス(Proxemics)=知覚文化距離」という言葉を造り出している。自己と他者との間の距離に基づく空間ゾーンを4つに分類(密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離)したのである。人は距離により、人間関係、使用する感覚器官の違い、行動の違い等を生み出しているのだそうだ。彼はこう述べます。「異なる文化に属する人々は、違う言語をしゃべるだけではない。おそらくもっと重要なことは、違う感覚世界に住んでいるのだ。」
希望者で実施中のニュージーランド語学研修(7月28日〜8月10日)では、生徒はオークランドにあるAlfrisiton Collegeに通うわけであるが、その登校初日はPowhiri(ポーフィリ)というマオリ語で行われる歓迎式がある。Weroという男性のよる踊りの後、彼は葉を落とし、それを訪問客である私たちの代表が拾う。その後は女性による歓迎を表明する歌。それぞれの代表による挨拶と歌の交換。次には、Hongiと呼ばれるマオリの挨拶。これはお互いの鼻と鼻をくっつけることで「皆一つになります」を示すのである。元々はマオリ語で「空気を共有、交換する」と言う意味であり、これを通し、お互いの命の息吹を交換する、つまりは相手を受け入れるということである。そして最後にはKai(マオリ語で食べ物)を共にすることで儀式は終わる。
公衆距離からいきなりの密接距離しかも鼻と鼻の距離が「0cm」のHongiは、エドワード・ホールの言う「違う感覚世界」そのものである。私たち日本人ならば、段階を経て、距離を縮めていくが、彼らは一切なし。間にあるのは歌と踊りと言葉のみ。昔はこのようにして彼らは敵でないと認めれば、一気に自分たちの懐に入れることで生存、共存してきたのだろう。「人間はどんなに努力しても自分の文化から脱けだすことはできない。なぜなら、文化は人間の神経系の根源にまで浸透しており、世界をどう知覚するかということまで決定しているからである。」とホールは述べている。確かに、非接触系文化が根底に流れる日本人には「初めまして。よろしくお願いします。」の代わりにいきなり鼻同士をくっつけることはできないだろう。でも、学生のうちに文化としての身体距離には接触系と非接触系があることを知るのは、とても大切だと思う。コミュニケーション能力とは、自分と同じ価値感を有する共同体はないという前提の中で、コード破りをすることで人とのつながりを生み出していくことだからである。
満員電車はいくら乗ろうが決して居心地は良くはならないが、本校の生徒達は時が経てば経つほど、こちらの生活に居心地の良さを感じているようだ。
総務部長 對馬 洋介