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中1 Blog 第29回 「Through the Looking-Glass」

2018/3/5

「Through the Looking-Glass」
Cassius: Tell me Brutus, can you see your face?
Brutus: No, Cassius. For the eye sees not itself. But by reflection, by some other things.
. . . . . .
Cassius: I, your glass,
Will modestly discover yourself
That of yourself which you yet know not of.
キャシアス:どうだ、ブルータス。君は自分の顔が見えるか。
ブルータス:いや、キャシアス、見えない。目は反射にしか、つまり他のものを通してしか自分自身を見ることができないから。(中略)
キャシアス:私が君の鏡として、君自身も知らない君の姿を、あるがままに見せてやろう。

シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』からの引用を読み、二人の会話について思うことを40-60語の英語で述べなさい。

これは先日行われた東大の問題の一つです(試験には上記のように日本語訳もありました)。君たちも自分の思うところを考えてみよう。

同大の問いにある“glass”は「鏡」という意味です。
現在、英語の授業で扱っている『鏡の国のアリス』の原題“Through the Looking-Glass, and What Alice Found There”でも使われています。

私たちは様々な場所で鏡を用い、「自分」を見ます。この行為は恐らく鏡が発明される前から行われており、一番古い鏡は「水面(水鏡)」です。その後、金属の表面を磨いた表面鏡、さらにガラスの裏面を銀メッキした鏡(裏面鏡)が現代では使われています。
昔から人間は自分のことを知りたい生き物なのでしょう。

私たちは鏡があれば、自分を客観的に見ることができると思っていますが、反射(reflection)である以上、誰も本当の自分自身を見ることはできません。
「自分」を認識するには自分ではないもの、「他人」という鏡が必要となります。

だから、自分が描く「自分」と他人が描くそれは一致しているのか、それとも乖離しているのかを私たちは気にするのです。

意識して鏡を見ているあなたはそれが普段の「自分」だと思いがちです。
しかし、他人は鏡を見ていない「自分」を見ています。
そしてそれがあなたの属する社会で認識されている「自分」です。
同大は以前にも鏡をモチーフにした問いが出されており、「他者を通じて、自己と向き合おう」がメッセージの一つなのかもしれません。

人を見本にする、他を手本とすることを「鑑みる」と言います。
漢字では「鏡」は「鑑」とも書くわけです。英語で「鏡」はmirrorです。
その語源はmirari(驚く)から派生したmirare(見つめる)に由来します(「奇跡」のmiracleも同じ)。
一年生もまもなく終わります。
4月から2回目の一年生では困ります。新入生を驚かす「鏡」になる。

その結果、知らない「新しい自分」に出会えるはず。

そして、人はそれを「成長」と呼ぶのではないでしょうか。

2017_学年通信_29

 

中1 学年主任 對馬 洋介

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