キャッチボールをしたことがある人は多いと思います。
一人は相手の胸めがけて、思いやりを持ち、投げる。受け手は、ありがとうと感謝の気持ちで受け取るボールの運動です。
しかし、どうしても生ずるものは何か。
それは2人を隔てる距離があるが故の「誤差」です。
自分の思い描いていた箇所からボールがズレ、相手に届くことが多々あります。
でも相手は誤差を修正した上で、捕球してくれます。
時には暴投もありますが、「ゴメン、手元がズレた」「サンキュー」等のやり取りで、許容されます。
それが繰り返されるのです。それが楽しいのです。
一方、自分が捕球する気もない人に思い通りにボールを投げようと投げなかろうとそこには誤差は存在しません。
キャッチボールとは、片務的な行為つまり、投球練習や捕球練習ではなく、双方が「やり取りを楽しむ遊び」であることが前提です。
たまに漫画を読むことがあります。
「斉木楠雄のΨ難(さいなん)」という漫画の主人公の斉木君は、超能力者です。
彼には人と言葉交わすことなく「心の声」つまり相手の考えていることがわかる「テレパシー能力」があります(頭にアンテナ⁉がついていたのでそれで受信するのか!?)。
彼曰く、それは全く不要な能力だそうです。
というのも、知りたい人の気持ちだけを知ることができるわけでなく、周りにいる全ての人の考えていることを全て知ってしまうからだそうです。
なるほどオンとオフの機能はなく、「聞きたくもない声が聞こえてしまう」わけです。きっと彼には静かな満員の通学電車の中は地獄そのものでしょうね。
先日実施されたプレゼンコンテスト。
本校のそれは、発信力と受信力を意識しています。
登壇者は自分の後ろ以外を聴衆に囲まれているため、どこに言葉を投げかけてもいいようになっています(2年生はステージを歩いたり、降りたりしていましたね)。
例え「暴投」でも受け止めますよ、があのステージに込められたメッセージです。
キャッチボールは遊びでもある一方、実は受け手次第で投げ手の上達度も大きく変わります。
「良きリスナー」は「良きスピーカー」を生み出します。
巨人や米大リーグのヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏は、キャッチボールの極意は「とんでもない悪球だって、何事もなかったように正面で捕る。
技術的に難しいし、負担も増すけど、相手に「失敗した」と感じさせなければ、ずっと笑顔で楽しく続けられるから」と述べています。
登壇した1年生は皆緊張しただろうけど「失敗した」人はいなかったですよ。多数の「良きリスナー」いましたから。
来年度は「遊び」も入れられるかな。楽しみです。
学年主任 對馬 洋介