片手に剣、もう片方には宝珠の乗った蓮華。
さて、どなたのことか覚えていますか。
先日の「十三詣」で冨田先生の話された「虚空蔵菩薩」のことです。
「虚空蔵菩薩」は悟りを開こうと修行中の身にも関わらず、
尽きぬほど広大な智慧を持ち、福徳を持って衆生を救う役目を負っているのだそうです。
「灌頂(かんじょう)」という頭の頂に知恵を授ける行為とともに君たちの「蔵」に生きる知恵が備わり、
子どもから「大人」への第一歩でもあるとのことでした。
「大人」とはいつからなのか。
「大人」とは何なのか。
社会的、身体的、精神的、経済的と切り口はいくらでもあると思いますが、正解はありません。
言えることは君たちは「自分探し」の途中、「執行猶予」中なのです。
心理学者のエリク・H・エリクソンはそれを「モラトリアム」と呼びました。
人が一人前の大人として社会に出る前の青年期(12~22歳)の、
社会的な責任や義務を果たすことを猶予されている期間を表す概念(最近はネガティブなイメージがありますが)です。
「大人」になるということは、「つながりたい人」とだけつながるのではなく、
「つながりたくない人」ともつながらなければならない時がくることでもあります。
自分のことだけではなく、無条件に「他人」のために何かをするということです。
その際の「耐性」と「立ち位置」を身に着けていく必要があります。
それは先日の早稲田大学でのラグビー体験で体験した人も多いはず。
1回目の試合では、両チームともただボールに群がっていました。
ところが、2回目の試合ではコーチの話や他のチームの動きを見ることで、
ボールを持っていない際の「立ち位置」もしくは、どこまでボールを一人で抱え、押しこまれているのを「我慢」し、
どこでチームメイトにボールを渡すのか等、ラグビーという「社会」の中では、トライするという目的のために
日頃はつながりの薄い人とも一定の時間を共にし、他人のために何かをしたはずです。
「自発的に自分の役割を身につけていくこと」がこれからは求められます。
“Be the Chain.” 早稲田大学ラグビー部の旗には、そう書いてあります。
ラグビーは皆が強い「鎖」の一部となり、ゴールまでボールをつなげます。
『チームメイトのみならず、地域の方を含めた「社会」や世界の人との「つながり」の意味もある』と部のマネージャーさんは述べていました。
虚空蔵菩薩の手にある剣は、人を傷つける武器ではありません。「鋭い知恵」を表しています。
しかし、これも使い方によっては、もちろん人を傷つける武器となります。
君たちは「蔵」に知恵をため込みながら、その武器の「使い方」と社会との「つながり」を強めるために、
この「猶予」を利用しない手はないのです。
中1 学年主任 對馬 洋介