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中1 Blog 第16回「「そういうもの」が存在するということ」

2017/9/29

日々疑問を持つこと、それはとても大切だと思います。
「学校の勉強は何の役に立つのですか」
「これって意味あるのですか」
例えば、このような質問、皆さんはどう考えますか。

実は「勉強」を「製品」や「商品」と思っている人は上記の質問をしてきます。
人は何かを購入する際には、価格の比較、性能の比較等をします。
そして自分や他人がつけた評価を正しいものとし、購入に至ります。
そのモノの良し悪しを購入前に自分で決めるのです。
この思考を「勉強」に当てはめています。

教育とは、その反対で教育の受け手が「ある一定期間」を過ぎないことには、
その価値や効果を口にできないものなのです。本来は「数値化」等もできないものなのです。
皆さんは、ひらがなを学んだ際や九九を暗唱した際に、その価値や効果を理解した上で勉強したわけではないはずです。
多分冒頭の質問した人すらいないと思います。
当時に、その有効性を言語化する語彙も少なく「そういうもの」として受け入れたから、今があるのです。
少なくともその効果を今「否定」することを皆さんはできないと思います。

教育とは「そういうもの」です。
生徒、児童にとって学校とは「何だかわからないけれども、そのようにして過ごす場所」なのです。
ネット通販やスーパーで「物を購入する前のあなた」と「購入後のあなた」は同じ「あなた」ですが、
「学びの前のあなた」と「学んだ後のあなた」は別の「あなた」になります。
君たちの周りの大人は、いつかはわからないけれども「別のあなた」に出会うことを楽しみにしながら毎日を過ごしています。
そもそも「勉強は役に立つのか」という質問をした時点で「その勉強」は役に立っているのだから、
そんなことは考えずに「そういうもの」として受け入れ、勉学に勤しむのがいいと思います。

「そういうもの」を積み重ねたstoryが自分のhistoryとなるのだから。

学年主任 對馬 洋介

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