「一部≠全部」
あなたには、人の好き嫌いがありますか。
「あの人好きじゃないんです(嫌いなんです)。」と耳にすることがあります。
本当に「その人」が嫌いなのでしょうか。
その人の「ある部分、ある考え方等」が好きではない=「その人が嫌い」となっていませんか。実は人の「嫌だな」と思うところは、「自分自身の中にもある」から嫌だな、と判断するのです。自分の中にないものは、そもそも好きも嫌いも判断はできないはずです。
「嫌」と決めるのは他人ではなく、「自分」なのです。嫌な気分になったら「それはそれで問題ない」「ま、いっか」と言ってみましょう。
「似て非なるもの、近すぎるから生まれる摩擦」
写真を見てください。違和感ありますか。
日本では靴を脱いで家にあがる際には、つま先を家の外側に向けて揃えますが、一方お隣の韓国では靴は家の内側に向けて揃えます。外側に向けていると、「早く帰りたい」との意思表示になるそうです。「靴を脱ぐ」「靴を揃える」という行為は同じでも、伝わる内容は全く異なるのです。
「同じクラスにいる、同じ中学1年生」といった共通項があるがゆえに、相手も自分と同じように考えるだろう、というのは思い込みにすぎないのです。例え似ていたとしても、「自分の価値観≠相手の価値観」なのです。
ご自宅に欧米から留学生が来たとします。その方はおそらく靴は揃えないことでしょう(靴そのものを脱がないかもしれませんが)。あなたは怒りますか。全くもって文化が異なれば、怒ることはなく、むしろ優しく教える、もしくは伝える、と思います。この「寛容さ」を皆が持ち合わせることが大切です。
「少し違うだけで、同じ」ではなく、「違うけれども、同じところもある」なのです。
「単語で話さない」
子「ジュース」
母「ジュースが飲みたいの?」
子「ジュース!」
母「はいはい、ジュースが欲しいのね」
幼児は、単語だけで会話をします。大人と比較して語彙力が圧倒的に少ないからです。
ところが、コンビニやレストランで単語だけで注文する大人がいるもの事実です。恐らくは、それでも相手に「伝わる」と思っているからか、または人のことを見下しているから等が考えられます。校内でも同じことが言えます。言葉数があまりにも少ないとトラブルの火種となることがあるのも事実です。言葉巧みである必要はないのです。「単語」でなく「文」で伝えることが大切です。
中1学年主任 對馬 洋介