最新情報

校長blog第10回 「ピタゴラ通信②」

2016/10/15

 

 前回紹介した『ピタゴラ通信』vol.12掲載の「『宝仙未来計画』自由討論会」のテーマは、体育祭の活性化でした。討論会の後の私コメントも、同号に掲載されていますので、紹介します。

 

「生徒主体の学校とは」

 

宝仙理数インターは生徒中心の学校作りを公に宣言する段階まできています。だた、まだ誰がどんな事をしてそういう学校にしていくのか、具体的な事はハッキリしていないところがあります。今日はその一ページを開くべく知的で開放的な広場の4つの成員が集まって話し合いをしてくれた段階だと思います。学校を良くしていためには、あるいは学校を変えるためには、自分だったらこれをしたいとか、これができるのなら自分もコミットしたいとかの当事者としての意見が次の歴史の扉を開くと思うので、そういう観点から考えると、今日の体育祭のテーマで話し合ってくれた事はたいへん現実的な立場からの意見が交わされたので良かったなと思います。体育祭への関わり方は、一つは競技者(生徒)として、もうひとつは観戦者(生徒、教職員、保護者)として、そしてこの二者に関するプロデューサーとして関わっている要素があると思います。集まってくれた人たち皆で楽しむのだから、競技者の他にもう一つの顔を持っている。それが生徒の役割だと思います。今回発表してくれたグループはどれもこの事に言及していて、いかに盛り上げたら良いかという意識から出た意見を論じている。実況中継やカラーによるチーム編成などの『見える化、見せる化』の象徴的な考え方だと思います。どうやって盛り上げるかという観点からは、ここに集まってくれたみんなは学年別の層になっている競技体系から学年を貫いた縦割りのチームにして、どの競技にも何らかの形で関わろうとする、あるいは、見やすい、分かり易い体育祭にしようとする考え方を共通して持っていることが分かりました。

そう考えるのなら、『だったら自分はこれをやりたい。』と考える人をたくさん作る事ですね。まとめる人が困る位、多くの意見を出してもらった方が良いから、「こんな話があるから、次の集会の時は一緒に来てね。」とか、体育祭や学校を変えて行く種を撒く役割を果たして欲しい。それから、体育祭実行委員会と交流して、先生方にこういう体育祭にしたいと意見をぶつけ、自分達はここまでできるのだから、先生方はこの部分から手を引いてもらいたい。それ位の話まで持って行って初めて『生徒主体』の体育祭と言えるのだろうと考えています。生徒からの意見は何らか事情があって出てくるのだから、その事情が自分に対して合理的な説得力を持っていたら私はそれまでの意見を変えるかもしれません。「今までの決まりだからダメなんです。」といった説明はしません。むしろ。「ダメと決まっているのだが何故なのか。」といった意見をぶつけてくるのであれば受けとめます。その代り、跳ね返します。その跳ね返しに耐えて更に攻め込んで来るようなそう云う意見のやり取りを重ねて初めて『生徒主体』が実現していきます。だから、こちらもそう簡単には負けられません。だけど、一回や二回で諦めたりせずに、何回でも掛かって行く強さを見せて欲しいです。その様なプロセスが今後の楽しみだなと思っています。

 

 

2016年10月15日

                             宝仙学園中学・高等学校

                                校長 富士 晴英

Return to Top ▲Return to Top ▲