嬉しい便りが届きました。
私たちの仕事は、土を耕し、種をまき、水をやり、時には剪定をしたりすることです。
どんな花が咲くのかは、わかりません。
その花を見ることもないことが多いのも事実かもしれません。
花ではないかもしれません。
それで良いのです。それが楽しみなのです。
私たちは、生徒を支えているようで、実は生徒に支えられています。
“Kids don’t remember what you try to teach them. They remember what you are.”
「子どもたちはあなたが教えようとしたことは覚えていない。あなたが何者であったかを覚えているのだ。」(Jim Henson:セサミ ストリートの生みの親)
今日もがんばろうかな。
英語科主任
母校訪問
11期卒業生のH.K.です。
今年の夏休みに高校の夏期講習を見学させていただいたので、そのことについて生徒ブログ (卒業生ブログですね) を書きたいと思います。
私は現在、秋田県にある公立大学に在学しています。大学受験をしているときから将来何かしらの形で教育、特に言語教育に関わりたいという思いがあり、大学1年生の4月から高校英語科の教職課程を、さらに9月からは日本語教育副専攻の授業を受講しています。大学に入学した当初は自分が関わりたいのが英語教育なのか日本語教育なのか決めかねていたため、将来の選択の幅を広げるために両方の履修を決めました。しかし、課外活動で2泊3日の中高生向け英語研修プログラムや1泊2日の小学生向け英語キャンプのスタッフとして活動する中で、英語という言語が自分の世界を広げてくれたことを思い出し、英語教員を目指したいと考えるようになりました。
しかし、高校の英語教員を将来の選択肢として真剣に考え始めたとき、現職の先生方がどのように生徒を教えているのかを学ぶ機会がほとんどないことに気が付きました。教職課程の授業を履修するまで知らなかったのですが、教職課程の中に「生徒にどのように教えるか」ということを学ぶ授業はほとんどなく、必修科目以外は教育関連の法律や歴史の勉強が中心です。これらの知識の重要性も理解していますが、教室での実際の指導を見ることで新たな気づきが得られるのではないかと考えました。そこで、宝仙学園在学中からお世話になっていた英語科の對馬先生に高校生向けの夏期講習を見学させていただけないかと相談し、8月21日から23日までの3日間、4年生と5年生の英語の授業を見学することになりました。
3日間で、4人の先生方の授業を合わせて12時間見学/参加しました。宝仙に在学中にも授業を受け持ってもらったことがある先生が3人と、初めてお会いする先生が1人でした。受けたことがある先生の授業でも、高校生として教室に座っていた2年前と、先生の言動に注目しながら授業を見る今とでは、全く異なる景色が見えました。見学中にはただ座っているだけで貴重な機会を無駄にしないよう、ノートをとるための紙を2枚準備し、1枚には板書を写し、もう1枚は3分割して授業内の活動の時間配分、よかったと思った点、疑問や自分が変えられると思った点を書きました。授業を見学する中で、印象に残ったことがいくつかあります。
例えば、問題演習中の先生の動きです。中高生のときは演習中は問題を解くのに集中していて、先生が何をしているかなど気に留めたことがありませんでした。「私たちが問題を解いている間、先生たちは暇そうでいいなあ」とさえ思っていたかもしれません。しかし、生徒が問題を解いている間も先生たちは机間巡視をし、やることが早く終わった生徒には次の指示を出し、生徒が間違えやすいポイントを見つけたら演習の時間の後にクラス全体で復習できるように準備していました。課外活動で小学生・中高生を受け持つときも「活動中に暇している生徒をつくらない」「生徒の邪魔になる声かけをしない」ということを徹底させられるのですが、私が難しいと思うそれを当たり前のように実践している先生たちを見て改めてすごいと思いました。
また、音読の仕方も授業によって違っていて面白かったです。英文読解で答え合わせが終わったときに、その英文を声に出して読ませるのかどうか。音読するとしたら、1文まとめて読むのか、かたまり (チャンク) ごとに区切って読むのか。見学する代わりに生徒として参加させていただいた對馬先生の授業では音読をまかされることもあったのですが、自分が理解できる英文でも授業に参加している全員が理解できるようなスピード、区切り方で読むということは思ったよりも難しいことでした。だからこそ、先生方の生徒の理解度や集中力に合わせたアプローチが記憶に残りました。
大学生になって実感したのは、中高生の時に受けた英語の授業は確実に自分の力になっているということです。私は高校生のとき、(旧カリキュラムの)「英語表現」の授業があまり好きではありませんでした。英語を書いたり話したりするアウトプットの活動は好きだったのですが、文法事項の暗記や構文解釈は理屈っぽくて苦手だったのです。しかし、大学で英語で書かれた学術的な記事を読んだり論文を英語で書いたりする中で、高校までに勉強していた知識が役に立っていると感じる機会がとても多くあります。受験対策でやった英文の精読や長文読解のスキルは、大学での勉強や研究における確かな基盤になっています。中学一年生の時にアルファベットから勉強し始めた私が現在大学で全ての授業を英語で受けられるまでになったのは、宝仙で受けてきた英語教育のおかげです。特に宝仙の先生方は、単に英語という言語を知識として習得させるだけでなく、英語を使うことの楽しさを教え、授業や行事を通して異文化に触れる機会を与えてくれました。それがいかにありがたいことだったか、宝仙を卒業して2年経った今、実感しています。
今回の夏期講習の見学は、私が目指す将来に確信を与えてくれました。3年後の春には、私も教育実習生として母校で授業をする側に立つことになります。教育実習に行くとき、そして (もしかしたら) 将来教員として働くとき、瞬間ごとに変わる生徒の反応や理解度に対応しながら授業を進められるよう、これからも学ぶ意欲を持ち続けて多くのことを吸収していきたいです。今回は大学生として生活していたらあまり見ることのできない高校生の授業を見学させていただき、ありがとうございました。卒業した今でも自分をあたたかく迎えてくれる母校があることをとても嬉しく思います。