この年末年始、学年主任は新潟に帰省していて被災しました。
1月1日の午後4時半ごろ、大きな横揺れを感じました。
スマホの警報がけたたましく鳴って、揺れも激しくなりました。
慌ててテレビをつけると、女性のアナウンサーが「今すぐ逃げること!テレビなんか見ていないですぐ逃げること!」と厳しい口調で繰り返し告げています。
大津波警報が発令されたのです。
震源に近い能登半島の震度は「7」。新潟市は「5強」でした。
私は、2011年3月11日に経験した東日本大震災の時の揺れを思い出していました。
あの時私は文京区の中学校にいて、卒業式に近い6時間目の途中に大地震に見舞われたのです。
この正月に感じたものよりはるかに大きく長く続いた揺れでした。怖くて泣きじゃくる女の子を慰めるのに苦労しながら、クラスの子たちを校庭に避難させました。
その日は結局百人くらいの生徒が帰宅できなくなり、体育館にマットを敷いてみんなで夜明かしをしたのだったっけ…。そんなことを回想していました。
翌朝には地震警報は注意報に切り替わっていました。昼過ぎに車で買い出しに出かけたら、見慣れた街のあちこちが様変わりしていました。
液状化現象でアスファルトの地面がめくり上がったり、土砂が噴き出して陥没したりしていたのです。
役場には給水を求めて人々が列をなしていました。古い神社を訪ねたら、灯籠が無惨に倒れていました。能登から離れた土地でも「被災」を実感することとなりました。
そして、その日の夕方でした。2日の午後5時ごろテレビをつけると、ジェット機が火を噴いている映像が目に飛び込んできました。
羽田空港の滑走路上で、海上保安庁の輸送機と衝突したのだとニュースは伝えています。
火を噴く機内にいたはずの乗客の行方はどうなったのか。無事逃げおおせたのか。
そうして、十数分が経ったころ、四百人にも及ぶ乗客乗員の全員が機外に脱出していたことが伝えられました。何という奇跡でしょう。
しかし、その後海保隊員の乗員6名のうち、5名が命を落としたことを知りました。
彼らは、新潟空港に支援物資を届ける任務を負っていたのです。その離陸寸前に衝突事故に遭ったのだ。何という悲劇でしょう。
1月5日の現在、石川県内の死者数は100人に迫るといい、家屋の下敷きになっている人々も100人を超えるというのです。寒さと飢えと渇きに苦しむ人々は数万人に及ぶのでしょう。
禍(か)福(ふく)はあざなえる縄のごとし
「あざなう」とは糸をより合わせるという意味。禍福すなわち不幸と幸福とは、糸をより合わせて作る縄のように互いが密接に存在しているということわざです。
つまり、幸福に思える日々のその裏に実は不幸が潜んでいるということです。
天災に見舞われやすい国土に暮らす私たちは、いつでも何度でもこのことわざを現実のものとして受け止めることになります。
なのに、平穏な日が続くとつい不幸を遠いことのように思ってしまいます。
祈りましょう。一人でも多くの人が助け出されて命をとりとめることを。
衣食住を失った人々に生きる糧がもたらされることを。それは〝他人事〟に過ぎないのかもしれません。
でも、だからこそ祈ることができるのだとも言えます。他人の禍(わざわい)を我が事のように思いやって祈る、そうして禍にあざなわれた幸福が訪れることを祈りましょう。
そんなお正月になりました。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
3学年 学年主任