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#73 3/11/2011

2021/3/11

 十年一昔と言いますが、時の流れの速さに三歩歩めず、の感があります。

 あの日も年度末の忙しい一日でした。2時46分、私はちょうど一期生(高校1年生)の自分の担任するクラスの授業中でした。最初の揺れは「また地震か」程度のものでしたが、長引く余震と繰り返される揺れに、生徒共々慌てて机下に身を隠しました。それまでの教員生活の中で、訓練以外では初めてのことです。

 グラウンドに避難した後も、度重なる強度の余震に生徒たちから悲鳴が聞こえ、言いようのない不安を感じたことを覚えています。なんとか安全に帰宅できる生徒を送り出し、一方で帰ることが困難な生徒たちを教室に集め、備蓄の非常食を配布して長引く非難に備えました。しかし、あまりの無味乾燥さに全く食指が動かなかったことも忘れられません。

 都心の交通網は分断され、学校前の青梅街道は徒歩で帰宅する人波で溢れかえり、それでも我が子を学校まで迎えに来られた保護者の方が最後に帰られたのは日付をとうに超した夜中の1時過ぎだったように記憶しています。

 何十人という生徒と一夜を明かすために教室には机を並べ、その上に薄っぺらな非常用ブランケットを断熱シートのように敷いて横になるのですが、寝られるわけがありません。教室と職員室を往復しながら、TV画面には見たこともない東北の惨状が映し出されていました。

 後日談ですが、このときの一期生は三か月後にアメリカ研修旅行を控えていました。震災直後は旅行の実施を危ぶむ声もありましたが、幸いにして6月には第1回の研修旅行に旅立つことができました。スタンフォード大でのプレゼンテーションの準備をして臨む生徒たちでしたが、急遽発表テーマを変更する生徒もいました。

 ある生徒は、震災後に繰り返しTVで流された公共広告のことや、それに視聴者が食傷気味になっている話を語りました。またあるグループは被災地の瓦礫の下で稼働できるロボットのプログラミングを行い、現地で模型を使った操作の実演を行いました。「いま、このタイミングで日本から高校生がアメリカに出かけて行くのだから、そこには当然携えていくメッセージがあるはずだ」という考えのもとでした。   (一期生担任・右田邦雄)

 

 

 

 

 

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