本当なら連日テレビから高校野球の球音が響くこの季節。今年はそれもお預けだ。しかし、そのロスを埋めて余りある小説がある。『あめつちのうた』(朝倉宏景著・講談社)、だ。
野球小説なのに、試合のシーンはほとんど出てこない。主人公は高校野球の聖地・甲子園球場のグラウンド整備を請け負う「阪神園芸」のグラウンドキーパーだからだ。スポーツ小説なのに、手に汗握るプレーは描かれない。主人公は絶望的な運動センスの持ち主だから。なのになぜ、甲子園の名勝負を見終わったかのような清々しい読後感なのか。甲子園のない今年だからこそ、君たちに読んでほしい一冊だ。
幸い出版社と著者の計らいで、中高生には今月いっぱいは全文無料公開されている。(https://voc.kodansha.co.jp/enquete/bun_2_1857/)でも読み進んでいったら、ぜひ書店や図書館で実物を手にとって続きを読んでほしい。そして君たちの感想を聞かせてほしい。
(右田邦雄)
著者・朝倉宏景さんからのメッセージ(講談社のHPより転載)
「運動部、文化部の様々な大会やコンクールが中止、あるいは開催に制限がくわわり、非常に残念に思います。それどころか、3年後、5年後、10年後と、日本や世界情勢がいったいどうなっているのか誰にもわからない――。そんな混沌とした、なかなか未来の予測のつかない社会にこれから皆さんは足を踏み出すことになります。不安な人も多いでしょう。
「きっと君たちの未来は明るい」「この悔しさがきっと将来の糧になる」「腐らず前を向こう」そんな大人たちの励ましの言葉を、心の整理がつかないうちに、無理に受け取る必要はないと私は思います。少なくとも、ひねくれていた高校生当時の私からしたら、「大人に何がわかる」と投げやりな気持ちになっていたでしょう。
高校卒業後、これから皆さんの人生の本番がはじまります。だからこそ、部活や勉強に懸命に打ちこんだ結果、いったい今、自分の手のなかにいったい何が残ったのか? それは、努力や経験かもしれないし、大事な仲間や友達かもしれない。沸騰していた気持ちがおさまり、冷静になったとき、自分の心の内側を静かに見つめ直してみてください。
世の中、たくさんの職業があります。どんなに地味で、目立たない仕事でも、その一つ一つがこの社会を支えています。将来、働くことに――社会に出ることに、ほんのわずかでも期待や、希望を持っていただけたなら。そんな願いをこめた作品を、わずかな期間ではありますが、公開させていただきます。
ほんのひとときでも、楽しんでいただけたら幸いです。」