最新情報

凱風快晴(校長with広報室blog)第83回「緊急読書宣言!」第6号

2020/5/19

 みんな?自分らしく過ごしているかい?
 緊急事態宣言にともなう緊急読書宣言を発して以来、2回、「読書プレゼン」(別名「読書カフェ」)を行いました。
 小説を選ぶ生徒が多いなという感想です。
 この時期、知的好奇心の向かう先は、文学なんだと感じました。
 ではわたしも、文学へ。

第6号は、「『短歌』特集」です。

〇永田和宏『近代秀歌』(2013年 岩波新書)
     『現代秀歌』(2014年 岩波新書)
最初の本の書き出しは、怖いです…「あなたが日本人なら、せめてこれくらいの歌は知っておいて欲しいというぎりぎりの100首」のアンソロジーだと宣言されます。
しかも、著者は、歌人であるとともに、細胞生物学者でもあるという存在。
どちらもよくわからないわたしは、どうやって近づけばいいのか…
もはや勇気をだして、我流でいくしかありません。
わずか「三十一文字」の世界。読後に残像が浮かんだのは、身体の一部で思いを表現した歌でした。

〇与謝野晶子『みだれ髪』(1901年)より
「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
平安時代の女流作家たち以来、「髪」は、美の象徴だったのでしょうか。その伝統と、この六音の初句切れから一気に走る大胆さ。この自己肯定感は、圧倒的です。

〇石川啄木『一握の砂』(1910年)より
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」
「手」は、もちろん、労働の象徴。生活者としては感心できなかったとされる啄木は、しかし、短歌の世界では、読者の共感力を引き出す作品をあまた創りだしました。

〇寺山修司『空には本』(1958年)より
「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」
一方、こういう「手」もあり。こちらは、愛情や熱意の象徴でしょうか。

〇窪田章一郎『硝子戸の外』(1973年)より
 「くりかへし手をのべわが手とらしたりひさしく握りゐたまひにけり」
この「手」は、死の床の父が別れを告げるときに取った息子の手です。祈り、ぬくもり、生と死の交錯の象徴だったのしょうか。

                               校長  富士晴英

Return to Top ▲Return to Top ▲