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中学blog no12 「積層造形」

2019/7/3

3Dプリンターの話。
特徴は積層造形だそうです。それは薄い薄い形を何層も何層も重ね、立体化していくということです。ということは大きいものほど非常に時間もかかります。またそのためには、元となる3Dデータが必要であり、これがないとどうにもならないそうです。

合唱祭の話。
合唱はこの作業に似ているかもしれません。元データである音源や紙面の楽譜を頼りに、一人一人が音を積み上げていきます。そして立体化した結果が合唱として出来上がります。地味で根気の必要な作業を重ねていくのです。
ところで、3Dプリンターで作成した作品はオリジナルデータを元に忠実に再現されるそうですが、そもそも素材が異なるため、オリジナルを超えることはなく、(劣化)コピーの域を出ないとも言えます。一方、合唱では一度作り上げた作品を元データとして、再現性や時には劣化性を実感しながら、アップデートされたデータの意図的な更新で厚みを出していきます(もちろん劣化したままということもあるでしょう)。

テセウスの船をご存知の方もいるかと思います。これはあるものの構成要素を入れ替えていくと、どこまで変えたら、元と同じであると言えるかというパラドックスです。合唱もどこからが合唱でどこからが合唱ではないのでしょう。上手ならば合唱、そうでなければ合唱ではないのでしょうか。

そこで、定義を決める必要が出てきます。
合唱の出来不出来に焦点を当てるのも一つでしょうが、私は合唱そのものではなく、残るもの、残すものが大切と考えます。当たり前のことですが、合唱は人の前で歌うものです。でも本番以外ではその様を見ることはありません。では何を残しているのでしょうか。それは「背中」です。練習の様子であったり、合唱に姿勢や意気込みだったりします。無意識に先輩が後輩に見せているそれが年度をまたぐ元データとなり、どうしたら良いか戸惑う入学したての一年生がどうしたら良いのかを知ることができるのです。彼らの背中は感染力が極めて強く、いつのまにか引き込まれ、巻き込まれるのです。

合唱祭は毎年構成員を変えながらも無意識に毎年「背中」という無形の新素材を得て、時間をかけ、積層造形していくテセウスの船そのものです。これは合唱祭に留まらず、行事の場では全て同じことが起こり、続いていきます。やがてそれが校風となります。学校の文化は行事ではなく、人に根付いていくということです。

ところで、すでに世の中には「4Dプリンター」なるものが開発中だそうです。それは3Dプリンターを用い、製造した物が何らかの外的刺激等に反応し、時間の経過と共に自律的に変化する技術だそうです。
学校とは4Dプリンターそのものであり、自己組織化していくということです。

自分も「外的刺激」であり続けられるかを忘れてはいけないと思います。

総務部長 對馬 洋介

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